本年度の大きなテーマは「アジアの/とブレヒト」であり、ブレヒトと日本演劇の関係を集中して探った。市川と海外研究協力者のルケージーは、国際ブレヒト学会のシンポジウムで、「ブレヒトと維新派」のテーマで報告、市川は、1920年代のアヴァンギャルド演劇と維新派の関係を探り、『キートン』においてブレヒトの教育劇とは違う、新しい形の教育劇が生み出されていると指摘した。秋葉は、日本におけるブレヒト受容、特にブレヒトと井上ひさしの共通点を、政治意識や批評性、娯楽性の点から探った。 市川は、2011年2月にアウクスブルクで行われたシンポジウムで、演出家としてのブレヒトが、俳優術や観劇術の点で、日本の歌舞伎から大きな影響を受けたと指摘した。『男は男だ』と、1930年の筒井徳二郎による「カブキ」公演の関係はすでにタトローなどが論じているが、ブレヒトがどのように叙事詩的演劇を発展させたかを知る重要な指針であり、詳細な分析・研究が必要である。能の名乗りなどの手法や、日本の伝統演劇の音楽劇としての特性が、ブレヒト演劇に与えた影響の大きさも、布川は指摘した。 ブレヒトの演出家としての本格的な出発点は1948年、スイスでの『アンティーゴネ』、上演である。『肝っ玉おっ母とその子どもたち』や『セチュアンの善人』の重要な資料が、ベルンとチューリヒのアーカイヴに埋もれており、市川とルケージーがスイスに出かけ、資料収集を行った。ベルリーナー・アンサンブルのブレヒト・チームの共同作業の原型が、スイスで出来上がっていることに注目したい。
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