倭国王墓の系列と変遷を、古墳の編年および生前造墓であることを明らかにした上で、整理した。陵墓図のデジタルトレースは完了し、個々に墳丘復元を行い、キャドデータに変換し、高さを与え3Dデータに加工している。これにより、倭国王墓とその相似墳とを、立体的に比較することができる。また、3Dプリンタによる模型の製作も試みた。 最終年度は神聖王と執政王の2王並立について検討を進めた。ひとつの成果は、主系列墳と副系列墳の組み合わせが、佐紀古墳群や吉備などにおいても、王墓と同様に別墓を造営しているのではないかと考えられたことである。そして王墓の2系列にあてはまらない第3の系列を抽出することができた。さらに、2王並立が河内政権末期まで存続し、継体朝に1本化されることを明らかにした。また、継体朝に導入される大兄の地位は王族執政者と考えられ、2王並立の形を変えた存続ではないかとの見通しをえた。 倭国王墓の被葬者についても、神聖王墓と執政王墓があることで、被葬者の絞り込みが可能となり、可能なものの比定を行った。古墳時代の歴史的事象を性格の異なる2王並存の見方により解釈が可能となることを、いくつかの事例で明らかにした。 以上、倭国王墓に2系列があることに出発し、前代以来の分掌的な権力構成をとる倭国の伝統の考慮、オオヤマト段階に確認できる2系列の倭国王墓被葬者の性格差、5世紀代の同時期の並存関係のあり方から、倭王権が政祭分権王制であったという仮説を、十分蓋然性ある見方であることを明確にした。今後、倭国の王権論の議論において、言及せざるを得ない論点になると考えている。倭国王が1人との見方は、7世紀に整序された記紀の王統譜や、王は1人とみる常識的な理解に根ざす。しかし、倭王権が1人の王に権力を体現した体制であったと思いこまず、中央権力が多極的な構造であったとみなければならない。
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