研究課題/領域番号 |
22320164
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研究機関 | 明治大学 |
研究代表者 |
佐々木 憲一 明治大学, 文学部, 教授 (20318661)
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研究分担者 |
田中 裕 茨城大学, 人文学部, 准教授 (00451667)
日高 慎 東京国立博物館, 列品課, 主任研究員 (70392545)
倉林 眞砂斗 城西国際大学, 観光学部, 教授 (90186495)
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キーワード | 国家形成 / 考古学的アプローチ / 古墳築造 / 地域社会 |
研究概要 |
古墳時代に王権が所在した畿内地方から遠く離れた常陸の在地首長・豪族が、王権に如何に対応したかを探るため、茨城県かすみがうら市折越十日塚古墳の墳丘を測量、横穴式石室を実測調査した。その結果、現存する墳丘の規模は全長64.0m、後円部径33.0m、同高さ6.0m、前方部長27.0m、同高さ4.5m、クビレ部幅17.0mと判明した。しかし、裾が後世に大きく削られていることもわかり、全長は70m以上、後円部径も35m以上、クビレ部幅も20m以上と想定する。また周濠が2重に回る豪壮な古墳であることもわかった。さらに横穴式石室も実測した結果、以前から知られている通り複室構造で、全長5.45m、玄室長2.58m、玄室幅2.09m(奥壁)~2.03m(玄門部)、前室長2.67m、前室幅1.70m(玄門部)~1.64m(門前部)であった。また装飾(赤彩)されていたことは既知の通りであり、7世紀前葉築造という従来の見解を補強することとなった。実は、近隣に坂稲荷山古墳という同じように周濠(ただし1重)を伴う一回り小さい前方後円墳が存在し、築造時期も近接していると考えている。霞ヶ浦の出島半島に7世紀前葉、2基の前方後円墳が相次いで築造された意味を考えさせる成果となった。古墳文化の中心である畿内ではすでに前方後円墳の築造が終了し、仏教寺院が権力のシンボルとして建立されている時期である。また、これら2基の前方後円墳は、周濠を有し、地域のシンボルとしての役割を十分果たしていたようである。
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