研究課題/領域番号 |
22330012
|
研究機関 | 明治大学 |
研究代表者 |
高橋 和之 明治大学, 法務研究科, 教授 (70061223)
|
研究分担者 |
高見 勝利 上智大学, 法学研究科, 教授 (70108421)
毛利 透 京都大学, 法学研究科, 教授 (60219962)
西村 裕一 首都大学東京, 都市教養学部, 准教授 (60376390)
松井 直之 首都大学東京, 都市教養学部, 助教 (60468858)
|
キーワード | 国際研究者交流 / 中華人民共和国 / 明治憲法 / 欽定憲法大綱 / 中華民国期の憲法 / 日本的なるもの / 自国固有の文化との折り合い |
研究概要 |
日本を含むアジア諸国が西欧的な立憲主義を導入する場合、それを自国固有の文化とどのように折り合いをつけるかが常に問題となる。日本では、明治憲法の制定過程において「日本的なるもの」と「西欧的なるもの」の対立が生じ、それは戦後の日本国憲法の運用をめぐる対立にまで引き継がれている。他方、中国でも清国末期以降同様の問題に直面した。ところが興味深いことに、当時の中国は、立憲主義を西欧諸国から直接に導入するのではなく、日本を経由して導入した。本研究は、立憲主義が西欧から日本を経由して中国で継受される過程を詳細に分析することにより「日本的なるもの」の実相を一層明確に意識化していくことを、その目的とする。 平成22年度の課題は、1)当時の日中の憲法理論交流の背景ある政治的・外交的状況についての知識の習得、2)日本側の研究者が中国側の研究水準などを知ることである。 第1に、三谷太一郎先生による「日本になぜ立憲主義が導入されたのか」と題する報告を伺った(7月24日)。立憲主義の受容を可能にした日本特有の歴史的条件は、「幕藩体制の政治的特質」、すなわち権力の抑制・均衡のメカニズムの存在である。この権力の抑制・均衡のメカニズムが、形を変えつつ幕藩体制から明治憲法体制へと連続することで、立憲主義の受容を可能にしたのである。 第2に、「清末期に制定された欽定憲法大綱に対する明治憲法の影響」と「中華民国期の憲法制定に対する日本の影響」について、第1回研究会を行った(11月6・7日)。明治憲法起草に関わった日本人研究者が欽定憲法大綱制定へ参加したこと、中華民国期の憲法制定では、欧米諸国の憲法理論も参照され、日本からの影響が相対的に低下したことが明らかになった。もっとも中華民国期の憲法制定では、日本の経験を参照し、日本人研究者もまた中華民国政府の法制顧問として憲法制定に関わっていた。これらの報告を基礎に、質疑・討論を行い、相互の問題意識と課題を具体化した。 第1回研究会を踏まえ、平成23年度に第2回研究会を中国で行う予定である。
|