研究課題/領域番号 |
22360260
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研究機関 | 京都工芸繊維大学 |
研究代表者 |
石田 潤一郎 京都工芸繊維大学, 工芸科学研究科, 教授 (80151372)
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研究分担者 |
小野 芳朗 京都工芸繊維大学, 工芸科学研究科, 教授 (50152541)
中川 理 京都工芸繊維大学, 工芸科学研究科, 教授 (60212081)
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キーワード | 都市史 / 植民地 / 朝鮮半島 / 都市計画 / 土木 |
研究概要 |
朝鮮半島の在来都市において、1930年代後半から都市域に工業用地を設定・造成し、基盤施設を整備して積極的に大工場を誘致しはじめる。本研究では、都市の性格を変えようとするこうした施策を「産業都市化」と呼び、近世的な在来都市の産業都市化を導き支えた都市工学の役割を解明し、工業化がいかに空間化されたかを考察するものである。 当初の研究実施計画では時代順に調査研究を進めることを考えていたが、文献史料の性格上、時期を横断して地域別、事業別に調査する視点も取り入れている。平成23年度においては、国家記録院所蔵の総督府行政文書を中心に、ソウル市立図書館所蔵の『京畿道報』、神戸大学所蔵のカネボウ史料、新聞史料などを精査して、以下の問題について、歴史的事象を解明している。 1)永登浦地区について、1936年の京城市街地計画施行以前に京畿道当局が住民・進出企業と連繋しつつ、都市整備を進めていたことを明らかにした。京城の都市計画は京城府主体で遂行されたと考えられがちだが、早い段階で道さらには総督府がグランドデザインを描いていたことを示唆した。 2)永登浦についてはまた、1925年大水害以降の堤防整備事業の様態と街路整備との関係、窮民救済事業との結びつきを明らかにし、さらに水防工事の進捗によって内水排除が困難になる問題を惹起したことを明らかにし、同地区への工場進出が沈滞する原因の一つとなったことを見出した。 3)京城府都心部の下水整備事業について、事業の進行経過、設計内容を一次史料に基づいて明確にした。京城の市区改正事業はこれまで街路開削しか問題にされていなかったが、総体的な環境改善事業の像が把握できるようになった。 4)工業都市化が引き起こす人口集中に対処すべく1930年代後半から京城府内に多数設置された公園について、計画どおり実施されたかを現地踏査を含めて精査し、数の上では計画に沿って建設されたが、位置は当初設計と異同があることを明確にした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
植民地期朝鮮半島の都市史研究はこれまで制度史か社会経済史の色彩が強く、具体的な様相については踏めない点が多かった。本研究は上記のように一次史料に依拠して、多くの新事実を明らかにしている。特に内地から進出する企業による突発的な工業化に対処すべく、都市計画手法の連繋によって機動的な都市改造を進める状況の解明については所期の目標を達成しつつある。ただ、成果の過半がまだ論文として発表するにいたっていない点は反省点として自覚している。また研究対象が京城府に集中していて、地方都市に対する研究が進んでいない点に大きな問題がある。
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今後の研究の推進方策 |
ここまでの研究は主として1930年代後半までの京城を対象としてきた。今後は、京城については戦時体制化が進む1940年代の動向を解明する。具体的には工業用地・労働者住宅用地の確保を目的とした土地区画整理・府営団地造成事業の解明、また京仁工業地帯計画の解明を目指す。一方、地方都市については、初年度に大邸の調査が進んでおり、これを発展させて、その産業都市化の基盤となった空間ヴィジョンを明確にする。当初の計画では釜山、光州を対象地に挙げていたが、資料的な制約が大きいため、あらためて春川を対象とすることとし、その市街地計画の内容の分析とそこにおける産業都市化へのヴィジョンの解明をおこなう。
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