研究概要 |
本研究は、旧満洲国の主要都市における戦前の日本人による住宅地開発と住宅建設、その住環境や住文化を明らかにすることを目的としている。 平成22年度は初年度であり、研究代表者と分担者は2度にわたり中国大連、瀋陽、長春において日本植民時代の建築・住宅遺構の実態について現地大学の海外共同研究者とともに現地調査をした。その結果、予想以上に遺構が残存するも再開発の途上である実態も確認し、文献史料については、現地档案館所蔵史料の閲覧複写が日本人に対してはきわめて困難であるという状況も認識した。 そのような中で本年は、関東廳施政二十年史(関東廳,1926)、関東局布政三十年業績調査資料.(関東局文書課,1937)、満鉄附属地経営沿革史(南満洲鉄道総裁室地方部残務整理委員会,1977)等を用いて、中国東北地方では日本の租借地である関東洲と、日本に経営権があった鉄道附属地とでは日本人住宅の供給、開発手法に違いがあることを明確にした。租借地大連では、関東都督府(以後、関東廳、関東局へと組織改編)による住宅の供給と、一般企業の社宅建築、自治組織である市による市営住宅供給、民間団体による住宅供給が進展したことを明らかにし、これらの遺構の現存も確認した。一方、満鉄の鉄道附属地では、土地の管理・開発、住宅建築、市民生活に至るまで満鉄により一元的に管理され、しかも住宅建築の実際は、大連沙河口の工場地域では本社鉄道部が、撫順の炭鉱地域では撫順炭礦土木課が都市開発を含めた住宅建築を行うなど、供給部署は状況によって異なることを明らかにした。
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