研究課題/領域番号 |
22360261
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研究機関 | 京都府立大学 |
研究代表者 |
大場 修 京都府立大学, 生命環境科学研究科, 教授 (20137128)
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研究分担者 |
包 慕萍 東京大学, 生産技術研究所, 協力研究員 (40536827)
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キーワード | 満洲 / 日本人住宅地 / 近代住宅史 / 満鉄 / 瀋陽 / 大連 / 附属地 / 都市開発 |
研究概要 |
今期は,藩陽及び大連において調査を実施した。まず、藩陽では満鉄社宅における寒冷対策について検討した。冬期-30度にもなる寒冷な満洲への移住に、日本の居住習慣を保持しつつ、いかなる寒冷対策が図られたのかを検討した。藩陽の和平広場住宅区にて、1930年代建設の現存する満鉄住宅を中心に、建物調査及び元住民への聞き取りにより満鉄住宅の寒冷対策を調査した。その結果、地下室の暖房配管方法、墻厚を確保するための4種類の煉瓦墻の積み方、日光室や給湯室の設置、北壁窓の禁止、天井裏の保温材料設置などの対策方法を明らかにした。これらの方法と1910年代の満鉄社宅の寒冷対策を比較するとベンチカ式から集中暖房式への時代的変化が読み取れた。すなわち、日露戦争後、満鉄はロシアの東清鉄道会社社宅を接収し、そのベンチカ式の供熱方法を引き継いだが、1910年代以降、満鉄では基礎の改良、煉瓦積の新工法実験、集中暖房の研究などを行い、その成果が1930年代初めに開発された満鉄社宅に反映されたことを明らかにした。特に、日本人住宅には全て新しい集中式暖房へ切り替えられ、中国人職員社宅ではベンチカ式が継続されたことを確認した。満鉄社宅開発では、特甲、甲、乙、丙、丁の五種類の住宅基準が定められたことは知られていたが、それは単なる広さや装飾の違いに留まらず、建物の構造や設備にまで及んでいた。また、国内とは異なる植民地における満鉄社員の待遇の違いをも明らかにした。 大連においては、日本租借時代の下駄履き住宅をはじめとする集合住宅と戸建て住宅を取り上げ、その基本的な空間構成を明らかにした。また、同時期の日本本土における同種の住宅との比較を行った。その結果、大連市では、日本人の設計による下駄履き住宅が、日本よりも先行的に建設されていたことを明らかにした。その理由として大連での集合住宅の建設が市街地開発と一体的に行われたためだと指摘した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今期は現地調査(藩陽)と、『満州建築協会雑誌』など関係する文献資料の網羅的調査により、現地と文献資料の両面から、当時の中国東北部における日本人住宅地の建設過程を検討することが出来た。
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今後の研究の推進方策 |
現地調査では、建築調査や聞き取り調査を今後も引き続き行う予定である。 一方、現地での図書館や資料館における調査は、日本人に対する警戒からか、十分な調査が実施できずにいる。この点が今後の課題であり、現地の大学との協力関係のもとで、できるかぎり現地人による調査遂行の方法を検討する予定である。さらには、旧満鉄に関する史料などについては非公開とされるものも多い状況にあり、この点も現地大学との協議を進めていく。
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