一般に傷害を受けた植物ではエチレンやジャスモン酸が生合成され、急激な過酸化物質の生産をともなうさまざまな反応が生じる。一方、病害を受けた組織ではサリチル酸が生合成され、それがシグナルとなって、防御物質を合成、蓄積することで細胞は壊死し、周囲の細胞への病害拡大が阻止される(過敏感反応死)。カシノナガキクイムシ穿入とRaffaelea quercivora感染によるナラ・シイ・カシ類集団枯死(以下、ナラ枯れ)現象は、微細な物理的破壊に加えて、病害に対する反応の生理的、病理学的な解明が重要な問題である。樹木の木部には生きた細胞から成る放射組織が存在する。辺材部では放射組織の関与により病傷害に反応して組織の変色が生じる。この反応部は傷害心材または病理的心材と呼ばれる。ナラ枯れでは辺材部の広範囲にエラジタンニン(ellagitannin)の蓄積した傷害もしくは病理的心材が形成されることが知られる。本研究では、カシノナガキクイムシの穿入したコナラの木部におけるエチレン生成能を調べるとともに、コナラの成木を用いてエスレル、ジャスモン酸メチル、サリチル酸メチル、サリチル酸ナトリウム、およびこれらを組み合わせたラノリンペーストの樹幹注入を行い、傷害(病理的)心材の人為的形成を試みた。この結果、カシノナガキクイムシが穿入し、生存している個体の当年生木部からは顕著なエチレンの生成が確認されるとともに、エチレンが道管内のチロース形成に関係することを明確にした。また刺激伝達物質ペーストの樹幹注入実験では、エチレンとジャスモン酸の相互作用によって、顕著な傷害(病理的)心材の形成を誘導することができた。
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