研究課題/領域番号 |
22401031
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応募区分 | 海外学術 |
研究機関 | 滋賀県立大学 |
研究代表者 |
田中 俊明 滋賀県立大学, 人間文化学部, 教授 (50183067)
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研究期間 (年度) |
2010-04-01 – 2014-03-31
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キーワード | 朝鮮史 / 複都 / 副都 / 高麗 / 高句麗 / 百済 / 新羅 / 渤海 |
研究概要 |
今年度は、北朝鮮訪問の関係で、分担研究者から連携にかえて、経費をこちらから出すようにした。その関係でわたしの得た実績のみをあげる。 今年度は北朝鮮の高句麗王都平壌および高麗王都開城の関連遺跡を踏査することができた。予定していた高句麗三京の一つと考えられる新院遺跡は許可されなかったが、両遺跡の現状を把握することができた。 新院遺跡は、これまで刊行された簡単な報告をもとに整理するしかない。北朝鮮では南平壌という呼称を用いているが、高句麗の漢城とみてよく、前身は帯方郡の県城の可能性がある。平壌はまた、高麗の西京にあたる。王の行幸の時に左宮が安鶴宮であり、高麗時代の築造と考えなければならない。発掘中の大花宮遺跡は見学不可であった。 それ以外に、中国杭州の南宋臨安関係遺跡、南京の南朝建康関係遺跡を踏査した。南京についてはその巷制についての資料を集成再検討し、百済王都へ与えた影響が確実であることを述べた。 新羅の五小京として金官小京の調査現状についても確認した。これまで未知であったが、李朝時代の邑城の外側から古い城壁遺構が確認され、古地図にみえる古邑城であることがわかったが、それが新羅時代にさかのぼる可能性は十分あり、小京をとりまく城壁であることが考えられる。中原小京の忠州でも残された城壁の調査から、新羅にさかのぼる可能性が指摘され、城壁で囲んでいた様相が共通していることがわかった。また南原小京・西原小京でも李朝時代の邑城の地下から新羅時代の遺物が検出され、およそ同じ位置に当時の官衙等があったことが十分に考えられる。このように新羅五小京については、現状でもこれまでとは違った、確かな実相が確認できたのであり、その整理をすすめている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
海外踏査は、昨年度の北朝鮮を含めて順調であり、主要調査対象としては、東北大震災の直後に予定していて延期した渤海遺跡踏査を残すのみとなった。最終年度に実現させたい。これらをもとにした研究は、個別の論文ではすでに発表済みのものもあり、最終的に総合し、体系化することを残している。それも最終年度の課題である。そうしたことも含めて、順調に進展しているといえる。
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今後の研究の推進方策 |
上記のように渤海遺跡踏査を残すが、25年度9月に予定している。また、昨年度北朝鮮へ行く関係ではずれてもらっていた分担研究者も、最終年度は復活し、当初の予定のままに共同研究をすすめることになる。分担者のほかの科研(日本を中心とした比較)との兼ね合いで、テーマ的に重なるものもあるが、本課題は、朝鮮史を軸とするもので、当然、朝鮮の副都・複都についてまとめるのが主であり、高句麗・百濟・新羅・高麗・李朝とそれぞれ詳細にまとめることにしているが、中国・日本は比較のための概観であり、当然別の原稿を準備することになる。それを年度内に完成させ、分担者の成果をふまえて、総合的体系的に考察することをめざす。
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