研究課題/領域番号 |
22401034
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研究機関 | 駒澤大学 |
研究代表者 |
飯島 武次 駒澤大学, 文学部, 教授 (90106641)
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研究分担者 |
酒井 清治 駒澤大学, 文学部, 教授 (80296821)
石井 仁 駒澤大学, 文学部, 准教授 (90201912)
寺前 直人 駒澤大学, 文学部, 講師 (50372602)
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キーワード | 先周 / 西周 / 渭河 / 周公廟遺跡 / 豐鎬遺跡 / 発掘 / 考古学 / 夏商周考古 |
研究概要 |
古典文献や金文あるいは甲骨文に見られる「周原」「周城」「周」の地理的位置を考古学的に確認し、そのことによって西周王朝建国期の歴史を明らかにすることを目的として調査活動を行った。2011年度1次の遺跡調査として、研究代表者・飯島武次と研究分担者・酒井清治、寺前直人は9月8~20日の間、海外研究協力者の徐天進・劉緒・雷興山(北京大学)、王占奎(陜西省考古研究院)等が主体者として行う岐山県周公廟遺跡祝家巷QF3A2北地点の発掘に参加し、灰坑・住居址の発掘を行った。第祝家巷QF3A2北地点は2008・2009年に大量の西周甲骨を出土した大溝の北側で、西周宮殿址の存在が予測された。約200m^2の発掘をおこなったが、天候も悪く雨天に阻まれ、結果的には周都としての大型建築址の存在を確認するに至らなかった。しかしながら、発掘期間中に2010年度以前に渭河流域で発掘された青銅器・土器などの遺物資料の観察を行うことができた。 2次の遺跡調査として、連携研究者の西江清高・渡部展也は、10月29日~11月6日の間、陜西の渭河流域・黄河西岸、山西省南部、河南省西北部の先周・西周遺跡の踏査を行った。特に汾河下流域の晋侯関係の西周墓、黄河南岸の〓国貴族墓の調査に力点を置き、陜西渭河流域の西周墓との比較資料を収集した。 3次の遺跡調査として、研究代表者・飯島武次、研究協力者・長尾宗史、角道亮介は、2012年3月11日から20日の間、西安市長安区の豐鎬遺跡(西周豐京址・鎬京址)、陜西省長武県〓河上流の碾子坡遺跡の踏査を行った。碾子坡遺跡に関しては、そこが公劉の・都である確認を得ることの難しさを認識した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2008・2009年度に出土した西周甲骨文の研究が2011年度に入って進展し、周公廟遺跡が周公旦の采邑であるとの一応の結論にいたった。このことによって、その周公廟遺跡が周公旦の周城である可能性も高まった。しかしながら、この成果は2009年度以前出土遺物に対する成果で、2010・2011年度の調査では、天候の関係もあって(連日の雨天)、古公亶父~周公旦時期の建築蛙を求めての発掘調査で思わしい新しい成果を得ることができていない。ただ公劉の・都に関しては、新たにその地に踏査の足を入れることができた。
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今後の研究の推進方策 |
周公廟遺跡に関しては、引き続いて調査に参加して新たな資料を求める。公劉との関係が推察される碾子坡遺跡と、西周文王・武王の都である豐鎬遺跡に関しては、中国側で現在調査をすすめている研究機関が、中国社会科学院考古研究所であるため、中国社会科学院考古研究所と新たな研究協力関係を確立する必要がある。そのための準備を進めている。
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