網膜の出力ニューロンが発する神経スパイクは、様々なノイズの影響を受けるにも関わらず、スパイク発生の時間精度が高く、同一入力に対するスパイクパターンの再現性が高い事が知られている。イオンチャネルの確率的開閉など、ランダム性をもつ生理機構の上に安定した特性が実現されている事は興味深く、こうした応答の性質は、色、形や動き等の視覚情報の安定した知覚を実現する重要な特性と考えられる。これまでのシミュレーション解析によって、出力ニューロンである網膜神経節細胞のスパイクの時間精度は、一般的に予想されるスパイク発生のトリガとなるナトリウムチャネルではなく、カリウムチャネルのランダムな挙動によって決定される可能性等が示唆された。本研究では、こうした生理レベルの特性に基づき、網膜ニューロンの視覚情報符号化の原理とその特徴を情報科学的観点から理解することを大きな目的としている。 今年度は、過去2年間に進めてきた網膜の入力、出力の各モデルを統合した錐体‐神経節細胞間の数理モデルを構築し、スパイク応答データから網膜入出力ニューロン間の機能的結合を推定する手法の研究を進めた。従来、網膜への色彩ランダム刺激に対する神経節細胞の応答からスパイク誘発平均刺激を求め、神経節細胞と機能的に結合している錐体の種類や数を推定する手法が提案されていた。しかし、この手法は線形システムを前提としており、網膜内の様々な時間的及び空間的な非線形性の影響を明らかにする必要がある。そこで、数理モデル上のシミュレーションによって、非線形性を含んだ神経節細胞サブタイプの特性が錐体との結合の推定に与える影響を解析した。その結果、神経節細胞の受容野が空間的に線形の場合には8割程度の同定精度があるが、非線形性のある場合や受容野境界では同定精度が低下する事がわかると共に、こうした問題は入力刺激の工夫によって解決し得ることが示唆された。
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