平成24年度は、神事芸能を「神と」演じる行為、そして/あるいは「神を」演じる行為と捉え、西洋の事例としてドイツ中世期のレデンティン復活劇と日本の春日大社の社伝神楽・巫女舞の形成ならびに大和猿楽から能楽の発生を演劇史的に考察した。 レデンティン復活劇は、日本の小さな集会(キリスト者共同体)で実際に行われたものを昨春に実体験し今年度は観察した。年間の祝祭としての復活を演劇を通して祝うもので実際の祭壇の前で行われる。厳粛な儀式体験とは異なり、娯楽性を伴う演劇は史実に反する遊びも含めて参加する一般の人たちの和を作り、その創造的なプロセスは共同体形成にとって意味深い。36の配役を研究するだけでも宗教的学びとなる。 日本にはこれに類するような宗教(仏教)劇は見当たらない。チベット文化圏などでは仏教やそれ以前の宗教劇や仮面劇が庁舎や寺院の前で現在も行われているが、日本の仏教はこうした姿には発展しなかった。伎楽が廃絶していなければ類似性はあったかもしれない。雅楽は残存するがセリフがなく、娯楽的な演目もあるが典礼性が強い。しかし今回比較研究したお田植えの神事には種まきの所作や農耕動作を演じる呪術的行為が見受けられる。神職が牛になるなどの微笑ましい場面もあり、豊穣祈願の呪術性が残る。歌に合わせて舞う以前には巫女は託宣を行っていた。中世期奈良には市の開かれる郷に舞を舞える巫女がすでに存在しており、奈良坂には声聞師組織もあり、翁芸を根本芸とする猿楽芸能者はやがて観阿弥・世阿弥らを輩出して京都へと進出してゆく。 神事と芸能は不可分な関係にあるが、制度の変更や戦乱にもかかわらず、姿や形を変えて継承されてきた背景には、土着の民衆の信仰心と芸能の力があった。呪術的な力を持った日本芸能の身体は、宗教性から芸術性に移行しながら制度的にも芸態としてもより整備・洗練され古典芸能として今日でも生きている。
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