今回の研究では、「体験活動」における「身体的体験」プログラムのモデルの検討のために、課題1).「身体運動」をメディアとした現状の「身体的体験」のプログラムを調査し、課題2)モデルとなるプログラムの要素を検討した。その結果、現状の「身体的体験」プログラムが、その「体験」によって生じるところの何らかの社会的効果、すなわち、ベイトソンの「三重のサイバネティックスモデル」の「社会システム(II)」における効果を求めてプログラム化され、「体験」の「いま、ここ」において生じている「意味生成」に関しては重要性を認めていないということが明らかとなった。「社会システム(II)」を超えて「エコ・システム(III)」へ溶け込むという自己生成の「体験」それ自体が重要であり、未来の何らかの効果を求めて「いま、ここ」で生起している「生成の体験」を手段化する現状のプログラムにおいて、時間性と個別性の問題が確認された。 本研究は最終的に、「感性教育」としての「身体教育」の可能性を探るために、「生成の体験」をもたらす「体験活動」のモデルとなるプログラムを検討した。そのために、「生成の体験」をもたらす典型的な「身体運動」として「スポーツ運動」を取り上げ、「感性教育」としての「身体教育」の重要な要素となる「個別性」と「時間性」の問題を考察した。その結果、「垂直的時間」と呼ばれる主観的、質的な時間認識が重要であることを明らかにした。この従来とは異なる垂直的時間においては、体験活動の瞬間(現在)が本質であり結果(未来)の手段ではない。また、それは客観的に一律に刻まれていく時間ではなく、個人の固有の時間である。そしてその体験活動の瞬間に、意味生成としての身体的体験が生起するのである。そしてそれが「感性」のための教育へと繋がっていくと結論づけた
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