研究課題/領域番号 |
22500552
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研究機関 | 東京女子体育大学 |
研究代表者 |
掛水 通子 東京女子体育大学, 体育学部, 教授 (20096663)
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研究期間 (年度) |
2010-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | 中等教育諸學校職員録 / 女子体育教師 / 職歴 / 私立東京女子体操音楽学校 / 第六臨時教員養成所家事体操科 / 日本体育会体操学校女子部 |
研究概要 |
『中等教育諸學校職員録』を手懸かりに,大正期高女・実科高女体操科受持ち教員の実態を明らかにした. 一校平均体操科受持ち男子教員は1921(大正10)年高女0.9人,実科高女0.7人,1926(大正15)年高女1人,実科高女0.7人,女子教員は1921(大正10)年高女0.7人,実科高女0.4人,1926(大正15)年高女0.9人,実科高女0.4人で男子教員の方が多かった.明治期より大正期の方が体操科受持ち女子教員の割合,1校平均人数は少なく.実科高女はより少なかった.明治36年から大正10年の間の体操科受持ち女子教員数の増加率は生徒数,男女教員数,体操科受持ち男子教員数に比べて低かった.大正10年高女は43.7%,実科高女68.7%,大正15年高女は25.0%,実科高女は58.2%の学校に体操科受持ち女子教員がいなかった.明治36年の高等女学校体操科教授要目で示された「體操ハ成ルヘク女教員ヲシテ之ヲ教授セシムヘシ」を、明治末期には徐々に実現しかけていた.しかし,女学生数が急増した大正期には多くの学校で実現できていなかった.高女,実科高女ともに大正10年と15年の間に体操科1科のみの受持ち女子教員が著しく増加した.2教科受持ち教員の他教科は女子は音楽・唱歌がおよそ高女で半数以上,実科高女で3分の2以上を占め,男子は多様な教科であった.体操科受持ち女子教員のうち,判明した出身校は両年とも私学が多く,その割合は増加した.最多は,両年高女・実科高女とも,私立東京女子体操音楽学校であった.東京女高師出身が減少し,大正7年に1期卒の第六臨教家事科1部,9年に1期卒の第六臨教体操家事科に官立の養成の中心が移ったが,生徒数が少なかった. 体操科受持ち女子教員は,明治期からの私立2校に大正末期に2校が加わり,主として4校の私立学校による養成になり,体操あるいは音楽との2科受持ち私学出身者が主流となった.大正末期に,「女子教師」から「女子体育教師」として特化していった.
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
5年計画の4年目であった。計画通りにおおむね順調に進展している。膨大な量の『中等教育諸學校職員録』の大正期までの分析を終え、昭和戦前期の分析も始めている。二つの国際学会、二つの国内学会計4学会で発表し、1論文が東京女子体育大学・東京女子体育短期大学紀要に掲載された。現在2論文を執筆中であり、近日中に投稿予定である。
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今後の研究の推進方策 |
今後も当初の研究計画通りに分析を進める。中等学校進学率の増加に伴って、昭和戦前期は大正期以上に中等学校数、生徒数は増加した。そのため、中等教育諸學校職員録の分析は時間のかかる煩雑な作業となっている。 5年計画の最終年に入るので、明治、大正、昭和戦前期を通しての分析を総まとめし、本研究、『戦前における女子体育教師の確立過程と役割:『中等教育諸學校職員録』を手懸かりに』の研究目的を達成させたい。
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