本研究の目的は、1933年から1940年までを対象に、国際オリンピック委員会が、どのようにして「オリンピックの政治的中立性」の観念を形成していったのかを明らかにすることである。1936年開催のオリンピック・ベルリン大会、その次の1940年の東京大会とヘルシンキ大会をめぐる諸問題に直面し、国際オリンピック委員会がとった対応の中でこの観念は形成された。アベリー・ブランデージ(アメリカ・オリンピック委員会会長)とアンリ・ド・バイエ=ラトゥール(国際オリンピック委員会会長)が、この観念形成に対して大きな影響を及ぼした。
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