大衆長寿社会にあって、加齢に伴い「高齢者になること/高齢者であること」、「要介護になること/要介護であること」に対する不安や忌避感、社会的排除意識が生じている。誰もが老いを経験し、老いを最期まで生き抜くことが求められている一方で、エイジズムなど老いの差異化・差別化が生じている。そこで、本研究は、従来、別次元でとらえられてきた「保育における要養護性」と「介護における要介護性」を理論的に統合し、生-老-病-死を紡ぐ連続体として理解する試みを行う。具体的には、ケアの受容性・対等互酬性という観点から、ライフコースにおけるチャイルドケアにみられる「正の学習」(できるようになることを学ぶ)と、ナーシングケアにみられる「負の学習」(できなくなることを学ぶ)とに焦点をあて、成長と老化の価値を探り、最終的には要介護性(ケアされることを受容すること)を相対的に理解することの意義を見出すことを目的としている。 これまでチャイルドケア(要養護性)とナーシングケア(要介護性)の対比研究の結果、共通性や類似性が多く認められたことから、平成24年年度は、現代のジェロントロジー教育・死生観に関する研究資料の検証を通して、加齢過程において要介護性を受容する「負の学習」の発想と可能性を探究した。その結果、近代は価値構造において成長と老化、あるいは自立と依存を二極対比でとらえてきたと省みることができ、成長とともに「正の学習」を限りなく価値あるものとし、自立していることを評価する一方、老化とともに「できていたことができなくなること」を受容することが困難となり、「できなくなってもなお、できること」のみに強迫的に固執してきたと言える。生老病死という自然の摂理は、長寿化が進行してもなお変わることがない。超高齢・大衆長寿社会において、わたしたち一人ひとりが老いてなお堂々と生き抜くために価値の転換と新たな創造が急がれる。
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