水路部編暦課に籍をおき、編暦業務に関わった科学者を中心に、彼らが水路部で行った諸活動を、同時代の関連分野における学術研究活動や社会的諸活動と比較しながら検討を行い、次のような成果を得た。 1.学術会議や天文学会の資料調査により、戦時中に学術研究会議が指導した「天測航法」研究班により実施された官民共同研究の詳細を明らかにした。その成果である「航空天測図」や天体の高度と方位角を求めるための「共点図表」などの天測計算図表は、1940年代に水路部が行った天体位置の独自推算法を用いて実際に天体の位置を計算するための手段を提供するものであった。 2.これら研究班の成果が公式にどのような形で水路部の編暦業務に導入されたのかその経緯は不明のままではあるが、これによって短期間で東大第2工学部の学生による天測計算表が作られ、それをもとに「高度方位暦」も計算されたと推測することが可能になった。 3.これまでの調査を踏まえると高度方位暦の研究開発過程は、①水路部による独自天体推算法の開発、②学術研究会議研究班による推算手段の開発、③女子学生を動員しての計算の実施という段階を経て達成されたとみることができ、①は目的基礎研究、②はその技術開発、③は社会的応用の各段階に位置づけられることを示唆した。 4.またこれらの研究開発過程は、海軍の水路部が置かれていた状況に制約され、技術開発に投資する形ではなく、現有資産の有効利用になる目的達成の道が選ばれ、結果的に人海戦術による成果には結びついたが、次世代につながるような成果を生むことはなかったことを指摘した。 以上、海軍の管轄下にあった水路部の成果が、結果的に「巨大な組織を持ちながら、技術面においてほとんど進歩改善の見るべきものなく・・・、欧米に比して科学技術的に四、五十年の遅れをもたらすに至った」といわれる実態の一端を解明することができた。
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