ユネスコの招待講演で、Jochi Shigeru(2010.11)を発表できたが、これは、奈良の寺院で関孝和が写本したという伝説のある『楊輝算法』(楊輝、1275年)を中心に中国と日本の高次方程式の解法(楊輝三角形、正負開方式から開方式)を天元術から点竄術という高次方程式の立て方と並行しながら日本伝来の過程を分析した。本研究の目的である「日本近世における東アジアと日本の交流を朝鮮復刻本も含む中国数学書の蔵書調査、内容調査」により、朝鮮で復刻された『楊輝算法』の「翻積法」を解明し、『古今算法記』(沢口一之、1671年)が従来考えられていた複数解をもつ方程式の発見に留まらず、解の関係まで把握していたことを実証したものである。 このように、『楊輝算法』の写本には関孝和も関わっていたため、従来、ほとんど分からなかった実母の実家である湯浅家も現地調査によって解明され、城地茂(2010.8)として発表することができた。これによって、徒クラスの武士団に関孝和らが属していたことが判明した。今後、旗本に出世したことと和算の関係を解く史料となるだろう。本年度の蔵書調査により、あまり報告されていなかった「阿蘭陀符帳」の存在が明らかになり、この起源がオランダではなく、中国南部であることが分かり、城地茂・劉伯〓・張〓溝(2010)として京都大学で発表した。次年度以降も調査を続け、和算家の外来数学受容に対する態度を解明したい。 東アジアの科学の範疇では、現在の数学だけでは収まらず、暦算として天文学も含めて近世の人々がとらえていたことは論じるまでもないが、本年度の調査により『周髀算経』(B.C.E.1c?)に関する記述が数多く再確認された。 これらが、中国本土で発掘された秦漢代の竹簡の数学書群とめ関連性をJochi Shigeru(2010.9)として発表した。近世の数学でも基本となっていた三平方の定理の起源が秦漢代にあり、3:4:5だけではなく、5:12:13の直角三角形の性質を研究していたという事実が明らかになった。また、本年度の現地調査と海外研究者の協力により、中国南部から台湾の科学史上の位置、課題が明らかになり、城地茂(2011a)、城地茂・劉伯〓(2010)として報告することができた。
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