ビールーニーの『占星術教程』について全部で15種類のアラビア語写本を比較検討した結果、以下のことがわかった。なお、15という写本の数は、現在世界に存在すると思われる写本の少なくとも8割はカヴァーしていると思われる。 ほぼ完全な形で残っているものは7種で、残りはどこか一部が欠けている。特に中盤にある表形式の箇所が欠けている場合が多い。完全な写本のうち最も古いもの(西暦1282年)は内容がもっとも不完全であり、次に古いもの(1467年)は、後半の表の部分がペルシア語で書かれている。それに対して、完全な形で残っている他の6写本は、すべてが19世紀に属している。テキストの校訂には、たとえ不完全であっても年代の古いもの(12から15世紀)をベースにし、欠けている部分を他の写本で補うという方法を採用した。ほとんどの写本は大きく分けて3つの系統に分類することができたが、5写本ほど分類の困難なものがあった。校訂に当たって各節に通し番号を付けたが、英語訳を出版したライト(1934年)の530節とは異なり、新たに536節にした。また個々の単語についてはほぼ同定できたが、ひとつだけ不明なもの(413節)があった。 アラビア語テキストとペルシア語テキストとの関係について言えば、ペルシア語版は或る系統のアラビア語写本から翻訳されたものであり、ビールーニー自身の手によるものではないと考えられる。このことは、特に488節「東見後の2つの下位惑星の状態とは何か」における写本の2系統のヴァリエーションから言えることである。 最後に、ビールーニーが典拠としていた占星術の権威は、ギリシアのプトレマイオス、インドのヴァラーハミヒラ、そしてイスラームのアブー・マアシャルであった。
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