石見銀山や生野銀山の坑道を探査した同じシステムを用いて佐渡鶴子銀山の弥吉間歩と大滝間歩の探査を実施した。その結果、2つのモジュールを板バネで接続したシンプルな構造のロボットではあるが水平坑道および下向き坑道内の探査を行い、坑道内の定量データを取得することに成功した。具体的な成果を以下に示す。 (1)弥吉間歩では水平坑道の断面形状が、三角形、アーチ形、矩形であった。このように種々の坑道断面形状を有していることから戦国時代から江戸時代にかけて何世代にもわたって再坑されたと考えられる。 (2)弥吉間歩では、入口付近に19本の渡し木を有し体積約72立方メートルの大きな「すり鉢型」下向き坑道やそこから約27m先に大きな空間を有する下向き坑道を確認した。このことから本坑道は「つるし掘り」採掘方法を用いていたと考えられる。 (3)古文書や絵図に記載されている弥吉間歩と大滝間歩の位置関係とロボットに搭載した方位角センサ値が一致していることを確認した。このことから2つの坑道は内部でつながっていると考えられる。 同様のシステムを用いて山口県美祢市に位置する史跡「長登銅山」跡でも調査を行った。この坑道は,奈良時代から平安時代にかけて国直轄の採銅所「長登採銅・製錬官衙」が置かれた場所である。もっとも保存状態がよい10号坑で調査を行った。その結果、奥行約16m、断面形状が横約1.0m×縦約1.2m、採掘体積は約18立方メートルであった。傾斜角は約50degであり急勾配の斜坑であることが確認できた。このほか定量データを利用してミニュチア模型の製作も行った。得られた結果から坑道内の断面形状は,他の鉱山の様に均一化されていなかった。またノミの跡や発破の跡も確認できなかった。このため本坑道は、自然に生成された鍾乳洞内に堆積した鉱石を、奈良時代から平安時代にかけて採掘した跡であると推論した。
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