現在、日本には先端生殖技術の臨床に対する法的規制はない。体外受精児が年間2万人以上誕生している状況において、この技術が惹起する倫理的問題は放置されたままである。たしかに「不妊治療」に対する女性の意識は明らかにされつつある。しかし、命の誕生を根本的に問う視点は不問に付されたままである。本研究は、先端生殖技術がどのように運用されるかは、まずもって私たちの社会が命の誕生に対してどのような倫理的意識をもっているかを明らかにする必要があると考えた。それは、「和田心臓移植」問題が明示化した、命を対象とする科学技術への倫理的問いが真摯に問われる必要があるという認識に基づいている。筆者らはこれまで先端生殖医療(生殖補助技術)に対する女性の意識を「自然」という指標において捉え、命の誕生とそれに介入する科学技術のあり様を検討してきた。この研究では、先端生殖技術に対する男性の意識を同じく「自然」という指標において捉える調査を行い、私たちの社会が先端生殖技術をどのような倫理的水準で捉えているかを明らかにすることを目的としてきた。結論としては、まず、先端生殖技術に対する倫理的意識は男女ともにそれほどの差異はなく、男女とも遺伝的につながった子どもをもつことを倫理的であると意識していることが明らかとなった。また、不妊治療は、妊娠・出産を担う女性がおおむねリードしているように理解されてきたが、体外受精は「命をつくる」ことに対する男女の意識差を捨象する方向に向かっていることが理解された。すなわち、女性が自らの身体内で「命を芽生えさせる」という意識はみられず、男性と同様に命を「つくる」という意識をもっていることが男性の意識との比較において明らかとなった。「命をつくる」という意識がもつ倫理的水準について検討し、日本における新生殖技術に対する法的規制の可能性について考察することができた。
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