ムーアの1999年の論文「判断の本性」について二方向から検討した。 いっぽうでは、ラッセルの記述理論の成立史のうちにムーア論文を位置づけた。その概要は、「ムーアは発狂していたのか」という表題で口頭発表し、発表原稿を研究成果報告書に収録した。そこでは、ムーア論文に対するライルの批評を手がかりとして、偶然命題についてのムーアの異常な見解がかれの概念一元論から帰結することを明らかにするとともに、そのような帰結を回避するためには、ラッセル的な「命題の構成要素と命題がそれについての命題であるところのそのもの」との区別が必要であることを示した。なお、初期ラッセル哲学においてこの区別が枢要をなすことは、研究代表者が2008年の論文「記述の理論はなにを変えなかったのか」において示したことである。 もういっぽうでは、ムーアの判断論が成り立つにあたって、ブラッドリーの哲学やカントの哲学が重要な役割を果たしたことを解明した。ムーアは、ブラッドリーの観念論哲学を批判することを通じて、経験論哲学とカント哲学が共有するドグマを剔抉する。それはつまり、概念を時間部分のうちにあるような存在者を指示することによって説明できると考える教説である。それはまた、ほんらい無時間的である概念を時間のうちにある事実に還元できるという臆断でもある。ムーアは「判断の本性」において、カントの超越論的演繹こそがそのような独断を排する方法であるはずだったのに、カントの哲学みずからがそのドグマにとらわれて徹底を欠いていると批判するのである。研究代表者は、研究成果報告書に収録した「判断の本性」の翻訳に解題を付し、ムーアのそうした目論見について解説した。
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