臨床倫理学は、すでにあらわになっている医療倫理問題を一般化した次元で抽象的に考える営みではなく、個別のケースの中に埋もれ隠れている問題群を剖出するとともに、蓋然的かつ暫定的な解消を図るための原理的枠組を確立し、根拠つげようとする。規範的医療倫理学はすべてのケースに演繹的に適用可能な普遍妥当的原理を目指してそこから出発するが、臨床倫理学は個別のケースから出発する。ケーススタディが臨床倫理学の中心部に位置づけられる所以である。ケーススタディは、道徳原理の妥当性をめぐる徹底的に合理的な論証の場ではなく、むしろ文学的想像力を駆使して関係当事者の個別的経験に寄り添い、ケースそのものを読み解こうとする工程を含んでいる。そうした想像力の出番がない仮想ケースは、どんなにケースの装いをしていたとしても、原理の応用例題以上のものではない。臨床倫理学の対象であり、臨床倫理学を鍛えあげる力をもつケースは、生身の人間の生の綾を写すものであり、文学的テクストとみなすことができる。テクストをどのように読み込むのが正当なのかという問題は古来、解釈学の関心であった。そこで、臨床倫理学の基礎には、倫理学以前に、文学、文学の哲学、解釈学がある。従来この点が見過ごされ、臨床倫理学をあたかも倫理学や医療倫理学の下位の文枝とみなすのが常であった。この点が見直されなければならない。さらに、解釈学に焦点を当てれば、前世紀半ばからは、心理学的性格を帯びたシュライアーマッハー、ディルタイ流の解釈学から、哲学的解釈学への転換が図られた。哲学的解釈学は伝統の中に屹立する偉大な作品をたとえば地平融合によって了解可能としたが、臨床倫理学で理解しようとする対象は市井の人々の多様な生きざまである。それゆえ、経験的心理学的なものを不合理なものとして拒絶することはできない。こうして近代的な解釈学や、文学の方法論の再検討が必要であることを示した。
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