エピステーメーについてのアリストテレスの最も核となる著作である『分析論後書』の翻訳と注解作業を行い、その過程で、アリストテレスのエピステーメーにおける「論証」性を、主としてユークリッド的な「公理論的」論証科学を念頭において考えることは、アリストテレス自身にも「公理論的」に構想しようとしているところがないではないとしても、むしろ『分析論後書』が狙っている知識論としての射程を狭めてしまうことになることを、同時に行った『ニコマコス倫理学』第6巻でのエピステーメーの位置づけと併せて、確認した。 すなわち、アリストテレスの「論証」理念は、確かに一面では、前提と結論が「必要十分条件」であることが示されことにある。その限りで、数論やユークリッド幾何学における「同値変形」とある意味で似ており、「公理論的」構想とも一致する。しかし同時に、その過程で使われる「原理」は、それ以前に論証されたことではなく、むしろ、それが探求において「発見」されるべきことである。 この点が明確化されることは、『分析論後書』が、Barnesらが強調したような単なる「知識の整理」や「正当化」の方法ではなく、まさに「探求」の方法でもあることを示すものであり、アリストテレス解釈として重要な論点である。さらに、この点は、アリストテレス解釈だけでなく、探求の「論理」「方法」についても、重要な含意を持っていると考えるが、その点については、次年度の課題としたい。
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