プラトンとアリストテレスが、それぞれの心身観にもとついて対照的な老年論を示したことは、ヘレニズム・ローマ時代の哲学において、老年を哲学の主題とすることに寄与した。それはとくに、老年期において政治や社会との関係をいかにもつべきかという問題として、キケロやプルタルコスやセネカたちによって問われることになった。つまり、人間の生涯全体を通して共同体や政治に関わる意義や必要性が認められるのか、それとも実践的生活から離れた観想的生活や閑暇(オーティウム)こそが老年の理想の生き方であるのかといった対比で、老人の政治的・社会的役割が繰り返し問われることになったのである。プラトンの老年論の系譜をひくキケロやプルタルコスは老年を人間の成熟の時期とみなして、老人がもつべき権威や教育の役割を強調し、そのため老人みずからが徳を身にっけなければならないと主張した。他方、セネカは、正義や政治からは距離を置いた閑暇のなかで、自然学や神学などの観想的学問を追究することを重視し、エピクロス派は、老年とは原子と空虚を原理とする自然が永劫に繰り返す世代交代の営みの一瞬にすぎないとみなし、公共性や国家や正義を原理的考察の枠外に置くことになった。
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