「鹿の角がもつ再生観念について ―スキタイ、戦国楚墓、馬王堆漢墓をつなぐもの―『人文学論集』31」において、鹿の角のもつ復活再生観念について考察した。鹿の造形は中央アジアに多い。そこには角が巨大なヘラジカ系の鹿がいる。鹿の角は毎年、生えかわる。古代の人々はそこに神秘的な復活再生の力を感じたのだろう。そのことと死後の世界に復活再生するという考え方が重ね合わされ、墓葬に関わる図像や器物に鹿そのもの、鹿の角、さらに鹿の角の文様が画かれ、造られるようになる。それらが死者の復活再生を促すものとみなされたようだ。文献では後漢、王充の『論衡』に鹿の角がおちることと復活再生が結びつけられるが、ほかには言及がない。しかし、考古学的遺物や図像を丹念に読み解くことによって、その輪郭を捉えることができる。 古代の人々の絵や造形を現代の芸術観で捉えることは危険である。そもそも絵を描き、何かを作るのは、その実現を願う予祝の意味をもつだろう。狩りの獲物があるようにと洞窟に狩猟図を描くのである。それが古代の絵を描く根本的な意味だろう。要するに呪術である。絵を描くときは狩りが成功するようにと言祝いだのだろう。文字が生まれる以前から絵、造形、それに言葉によって、それらのことが連綿と行われていた。そもそもスキタイには文字はなかったため、言葉と絵や造形によってしか死生観が表現されえなかったといえる。 中国の墓葬に関わる絵や造形も呪術の枠組みのなかで捉えることは可能であろう。技術的、芸術的にいかにすばらしくても、その根柢には呪術がある。たとえば後漢の墓室に描かれる壁画は、墓主の生前の生活ではなく、生前と同じように暮らしたいと願う墓主の死後の生活でなければならないと思われる。22年度、23年度に得た知見をもとに、それらを総合して、文様のもつ意味について、思想史からの角度で、これまでとは違う観点を提出できたと思われる。
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