研究概要 |
本研究の初年度である本年度には,まずメーダーティティによる『マヌ法典』註釈の写本のうち最も状態のよいものとされるIndia Office写本のマイクロフィルムを,British Museumより入手することが出来た。またメーダーティティによる法源論の中心を成す『マヌ法典』第2章第6詩節への長大な註釈の科段を作成した。そしてメーダーティティの法源論とミーマーンサー学派(聖典解釈学派)のクマーリラによる法源論を比較し,その共通点と相違点についての総論を,J.Bronkhorstローザンヌ大学教授の記念論集のための原稿として執筆し,編集部に送付した。また日本印度学仏教学会学術大会(立正大学)において「『マヌ法典』註釈家Bharuciのparamatman論」を発表し,その論文が学会誌『印度学仏教学研究』に掲載された。この論文は,メーダーティティに先立ち現存する最古の『マヌ法典』註釈の作者バールチが,法源の一つとされる「自己の満足」(atmatu.s.ti)で言われる「自己」(atman)を,究極的にはどのように考えているかを解明した。バールチは,『マヌ法典』が第12章後半で至福の達成を論ずるのは,それまでに賊罪を論じたのに準じて,解脱のために自己を清める方法を述べたのだと前後の脈絡をつけ,更に『マヌ法典』が第12章前半で,因果応報を決定する人格神を設定していることに着目して,解脱のためにする瞑想は,この人格神paramatmanを対象とするものであるとした。そして知行併合論の立場から,paramatmanを認識するためのprasa.mkhyana念想を行為の一種とみなし,人は晩年になって社会での現役を離れ,瞑想に専念して解脱を希求するようになっても,祭式を続けてヴェーダの伝統を維持するのが望ましいとした。
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