1、論文発表は4本あり、内容と意義は以下の通り。 ①「再論智者大師的出生地ー関于『智者故里』之我見」(智者大師の出生地再論ー「智者故郷」に関する私見)は、天台智者(538-597)の出身地問題について、以前発表した自身の論文「智者大師出身地考辯」の内容を要約した上で、最近湖北省荊州地方で生じた「智者の故郷」をめぐる論争に答えたものである。②「再論智者大師的出身地ー関于『智者故里之争』的看法」(智者大師の出身地再論ー「智者の故郷論争」に関する見方)は、上記の①と重なる内容もあるが、作者の該当問題に関する検討の経緯や「智者の故郷論争」に於ける「潜江説」に賛同できない理由を加えたものである。この①と②は、天台智者の出身地を更に明らかにした成果である。③「四祖道信的伝記和遺跡」(四祖道信の伝記と遺跡)は、文献史料における道信(580-651)の経歴に関する記載の変化、および湖北省黄梅県にのこる道信の遺跡について考察したものである。④「海雲印簡禅師相関遺跡漫談」(海雲印簡禅師関係遺跡漫談)は、「海雲碑」・海雲像・海雲塔など海雲印簡(1202―1257)に関する元代の仏教遺跡を検討したものである。この③と④は、遺跡調査の方法をより広い範囲の対象に用いた試論である。 2、学会発表は4件あり、内容と意義は以下の通り。 ①「仏法与王権――以道安・慧遠・神会為例」(仏法と王権―道安・慧遠・神会を例として)は、襄陽地方に関わる仏教歴史人物を具体例として、仏法と王権との関係を論考したものである。②「従地方性看禅宗的形成与発展」(地方性から見た禅宗の形成と発展)は、早期禅宗の地方意識、及び黄梅地方の特殊な地縁と中国禅宗の形成・発展との関係を論じたものである。③「北京広通寺小考」は、北京広通寺の遺跡、及び広通寺関係の人物や史実を考察したものである。④「海雲印簡禅師相関遺跡漫談」は、論文④と同じ。
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