本年度は、インドネシアのポスト災害社会における慰霊、とりわけ集団埋葬をめぐる問題に焦点をあてて研究調査をおこなった。特にニアス島において、集団埋葬とその後の慰霊が宗教やエスニック・グループの枠組みを超えた形で行われている点に着目し、このような試みをインドネシアの社会の文脈の中で理解することを試みた。六つの国による公認宗教が定められているインドネシアでは、宗教省でそれぞれの宗教(公認されて日が浅い儒教を除き)が異なった部局で管理されていることに象徴されるように、それぞれの宗教の独立性が重視され、公的な場で協働がおこなわれることはあまり一般的ではないからである。 そこで本年度は、比較の意味でスマトラ島のパダンやアチェといったポスト災害社会における集団埋葬と慰霊の事例について、文献や現地調査により検討を加えてみた。その結果、災害によって生じた大量の死者の存在が、被災者、地域政府、宗教者たちを動かして、平時の宗教制度の枠組みに収まらない動きを生み出していく様子を確認することができた。例えば西スマトラ州のパダン・パリアマンでは、熱心なムスリムが多いことで知られている地域であるにもかかわらず、地震に起因した土砂崩での死者の扱いをめぐり、権威あるウラマー組織の指令に対して、地域住民、さらには地域政府が公然と反論するという異例の事態が起きていたことが明らかになった。ここでも、土砂に埋もれてしまった数多くの死者の存在が、平時には見えなかった住民と宗教的制度の間の亀裂を明るみに出したのである。インドネシアのように強固な宗教制度をもつ社会にあっても、大量の震災死者の存在は、その制度をゆるがし、そこに新たな宗教と社会の関係が取り結ばれるきっかけとなりうることが明らかになった。
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