23年度は以下の2つの面から研究を進め、業績を成した。 (1)東京都23区域のうち、西北部(板橋区・練馬区・中野区・杉並区)に絞って、路傍の地蔵の銘文を分析した。通説では、路傍の地蔵は道祖神との習合により造立されるようになったとされてきたが、分析の結果、少なくとも当該地域に於いては、「二世安楽」を願って造立されたことが分かり、通説の修正を行うことができた。当該地域の路傍の地蔵の中には、道標の職能を持つものもあるが、その造立年代は、1730年代以降とやや遅く、近郊の農民が江戸に野菜を売りに行くようになってから、新たに付加された職能と考えられる。農民と推測したのは、銘文は「ゑど屋」の如く漢字・平仮名が混淆しているからである。この研究成果を日本宗教学会で口頭発表した。「東京都二十三区域西北部の「路傍の地蔵」」 (2)22年度、京都の地蔵盆を分析し、祖先供養的面は薄いという結論を得た。先行研究によると、但馬地方の地蔵盆には祖先供養的面があるとされ、これに関しては、23年度の課題とした。23年度、ようやく、但馬地方の地蔵盆を実見できたので、実見の成果と文献を合わせて、分析を加えた。但馬地方の地蔵盆は、墓参りを伴うもので、確かに祖先供養的面が存在する。その点では京都の地蔵盆とは全く異なる。但馬地方の地蔵盆は、京都の六地蔵巡りと地蔵盆とが一緒になって模倣されたため、このような相違が生じたと考えられる。なお、京都府亀岡市の地蔵盆・六地蔵巡りを伝播の一過程に想定した。この研究成果は、「兵庫県豊岡市竹野町の地蔵盆」として活字化されることが決定している。
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