江戸時代の地蔵説話集に於ける地蔵信仰をまとめ、これまでの現地調査と照合した。具体的には江戸時代の地蔵説話集に於いても、「路傍の地蔵」と道祖神との関係を説く記述はなかった。江戸時代の地蔵説話集に於いて、地蔵は現世利益的面を強めていったが、死者供養的側面が全く無くなった訳ではない。この点は道祖神と異なる。地蔵の現世利益が強調されるようになったのは、檀家制が義務化されたため、寺が現世利益的要素を強調したことも一因である。但し、疫病退散・旅安全といった道祖神と共通する職能は見られない。(病気治しはある。) では、なぜ、路傍に地蔵が祀られるようになったのか? 『地蔵菩薩直談鈔』の以下の記述に着目した。「惣シテ地蔵菩薩ハ六道能化ナレバ諸國所所ニ至ルマデ石地蔵ヲ路辺ニ安置セリ」これに従えば、地蔵は、地獄からの救済等の死者供養の菩薩であるゆえ、路傍に祀られるようになったのである。このことは、これまでの現地調査と符号する。やはり路傍の地蔵は、道祖神との習合ではなく、死者供養的性格ゆえ、路傍に祀られるようになったのである。 なお、江戸時代の地蔵説話集に於ける地蔵信仰の特徴としては以下の点が挙げられる。①中世では主に小僧の姿で顕れたに対し、江戸時代では時に大法師や老僧の姿で現れるようになった。②中世では地蔵が直接的に救済していたに対し、江戸時代では薬を与えるといった間接的救済に変わっていった。③中世では地蔵が罰を下すことは無かったが、江戸時代では地蔵像を破壊すると、罰を下すようになった。
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