本研究は、栄西の活動を文献史料を通して検証することにより、栄西の思想の中で密教と禅とがいかなる関係を有していたかを解明し、日本禅宗成立史を再検討しようとするものである。以下の3つの柱を立て、研究を遂行した。 1. 密教僧栄西の禅の受容 栄西が日本に禅を伝えた事が喧伝された背景には『元亨釈書』の影響があったと考える。鎌倉初期頃より密教僧が禅を受容した事は確かだが、その実態や過程は未だ明確ではない。栄西の思想形成期を中心に、後代への展開を視野に入れ、下記の考察を行った。 (1) 著作の翻刻および内容の検討。(真福寺蔵『改偏教主決』・『諸秘口決』、西本願寺蔵『釈迦八相』、大谷大学蔵『法華経入真言門決』、叡山文庫蔵『胎口決』)。 (2) 著作の大半は九州で執筆されたが、活動動向を検証するため実地踏査を行った。 (3) 調査研究成果は、福岡市立博物館「栄西と中世博多展」の図録に発表した。 2. 身体論からみる栄西 栄西の密教の修学は生涯を通じて行われた。最晩年の著述『喫茶養生記』もその知識に基づくが、基盤となった五臓論は、初期の『隠語集』より見られる。両者を比較検討するとともに、真言密教における身体論の展開の中に位置付けるべく、分析を行った。 3. 栄西像の形成について 栄西は鎌倉後期頃より茶祖と見なされるようになる。かかる土壌には、中世の文芸と禅との関わりの熟成があったと考える。栄西や禅に関わる文学的作品を取り上げ、栄西像形成の背景を考察した。具体的には、天理図書館蔵・狩野文庫蔵「聖財集」、金剛寺蔵「憂喜餘の友」・「五山詩習作」、真福寺蔵「初期禅宗法語」、天理図書館蔵「妙貞問答」の原本調査や考察を行った。
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