当初の計画ではイランとシリアに赴き、十二イマーム派の歴史理解とイブン・タイミーヤによるシーア派批判に関する写本資料と刊本を収集する予定であったが、現地情勢が悪化したため本科研による海外調査はおこなわなかった。ただし本科研以外の資金により渡航したヨルダンで入手したスンナ派神学者の分派学書は本研究においても活用された。 本年度の研究において注目したのは、シリアを拠点とするドゥルーズ派とヌサイリー派〔アラウィー派〕であり、既に入手済みの彼らの聖典写本(ドゥルーズ派の場合にはRasa`il al-Hikmaなど、ヌサイリー派の場合にはal-Bakuraなど)やヨルダンなどで入手した分派学書(アシュアリーのMaqalat al-Islamiyinなど)を通じ、両派の初期教義の生成過程と、派外の宗派集団との関係が初期教義の形成に与えた影響について分析した。 ドゥルーズ派、ヌサイリー派といった極端派的なマイノリティ集団においては、教義上、派外の他者は全面的に否定されると考えられがちであるが、本研究においては以下の点が解明された。すなわち、自派以外の人間は終末における罰を免れ得ない存在と見なされることは間違いないが、多数派であるスンナ派に対する姿勢と、近隣に共同体を持ち教義的にも地域的にはライバル関係にある宗派に対する姿勢には違いが見受けられる。スンナ派に対する否定や攻撃は、共同体がシリアの山間部に定着していく中で比較的和らいでいくが、それとは逆にライバル宗派に対する攻撃は同時期に激しさを増し、その攻撃内容も教義に立ち入った具体的なものになっていく。
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