本年度は、日本・中国・朝鮮において「民族」という用語がいつ頃発生し、どのような概念として使用されたのか比較・分析を行った。日本では、1887年にブルンチュリ(Bluntschli)の国家論を訳出した加藤弘之「族民的の建国並びに族民主義」(『独逸学協会雑誌』所収)において「族民」なる用語が考案された。ブルンチュリの学説は、自然発生的な共同体である「Nationナチオン」が政治的な共同意志をもつ「Volkフォルク」になるとするものであり、加藤は前者を「族民」、後者を「国民」と翻訳した。その後、1888年に創刊された雑誌『日本人』で「民族」なる用語が使用され、以後日本ではこの用語が広く使用されていった。本研究では、日本における「民族」概念の創出が、ドイツ学者たちによる「民族Nation/国民Volk」学説の紹介過程で行われ、さらに愛国心の涵養や愛国主義を強調する日本的に歪曲化された民族概念が唱導された事実について明らかにした。 一方、中国では、梁啓超の言論活動や留日留学生たちの翻訳を通じて、1900年頃から「民族」なる和製漢語が使用され、さらに朝鮮においても、梁啓超や留日留学生の翻訳を通じて1902年頃から「民族」なる語彙が使用された。その際、中国や朝鮮の知識人たちは、西洋近代の法学・政治思想を、梁啓超が提唱した新民説にならい「国家思想」と命名した。本研究では、中国や朝鮮で称された「国家思想」が、「民族」と同時に「族民」という用語を併用している等の事実を通じて、日本で流行していたドイツ国家学思想と同一のものであったことを明らかにした。また、中国においては変法派と革命派の対立、朝鮮においては日本の帝国主義支配からの独立という、各国がおかれていた政治的状況に従って、独自の政治的解釈が付加された事実についても明らかにした。
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