本研究は、幕末維新期の懐徳堂で最後の教授を務めた並河寒泉の思想と活動とについて、これまで十分に用いられてこなかった資料―日記『居諸録』、『寒泉遺稿』、陵墓調査報告書などを用いて考察を加え、併せて幕末から昭和にかけて同じ大坂で隆盛を誇った泊園書院の藤澤東ガイ(田+亥)・南岳父子の思想を比較対象とすることで、変革期の大坂漢学を複眼的かつ統一的に把握することを目的とした。 26年度は、懐徳堂に関しては、幕末の変革期における寒泉の政治意識を考察して、「並河寒泉『居諸録』に見える風聞―島津久光への期待―」(第十六回 懐徳堂研究会例会、大阪大学文学部、平成26年8月25日)を口頭発表した。並河寒泉の日記『居諸録』にみえる時事関連記事のうち島津久光に関する記事に注目し、『寒泉遺稿』の記述も考え合わせて、寒泉の政治意識を明らかにしたもので、併せて、その情報が誰からどのように伝わったか幕末懐徳堂の情報環境を考察した。研究代表者はかつて「並河寒泉の政治思想と幕府観―鳥羽伏見戦を中心に―」(『中国研究集刊』第50号、2009年)において寒泉の政治意識を考察したが、26年度の発表は鳥羽伏見戦に至るまでの時代を対象にして考察を深めたものである。ただし、期間中に論文公表に至らなかった。 泊園書院に関しては、「泊園書院の『大学』解釈―徂徠学の継承と展開と―」(『中国研究集刊』第59号、平成26年12月15日)を発表した。徂徠学系の漢学塾である泊園書院の『大学』解釈を考察することで、徂徠学・朱子学との異同および泊園学の特徴を明らかにし、併せてそれが近代国民国家における国民観に経学的な基礎を与えたものであることを指摘した。この研究により、〈近代における大阪漢学〉という新しい研究テーマへの道筋をつけることができた。
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