本研究は、伊波普猷の日琉同祖論に注目しながら、彼の展開した「沖縄学」が近代日本のナショナリズムを攪乱する思想であることをあきらかにして、新たな伊波普猷像を提示しようとするものである。既存の研究では、伊波の日琉同祖論は、同化主義や、同化と自立を揺れる意識のあらわれと評価された。しかし、本研究では、伊波の日琉同祖論の、日本と沖縄を「同祖」であるとしつつ沖縄の「異族」性を強調する矛盾したあり方に注目し、それが日本や沖縄というナショナルな単位の思考自体に疑義を提示するものであることをあきらかにし、近代日本のナショナリズムを内側から割り崩す可能性を持つ思想であったことを示したい。 本年度は、伊波の日琉同祖論という思想の形成、発展、変化を1920年代以降まで全体にわたって追う作業を行った。1921年に伊波が柳田國男と出会い、1925年に上京するあたりから、伊波のなかでは「沖縄」から「南島」意識へと変化があったといわれる。たしかに、そうした側面は見受けられるものの、むしろ戦時期に向かうなか、伊波の「沖縄学」は、日本の帝国主義的国民主義のあり方を内側からえぐる可能性を持つものととらえたい。もちろん、伊波の思想的限界を確定しながら、日本のなかに包摂されながら排除される「沖縄」を手放さなかった伊波の思想の可能性をまとめる。その予備的作業として、現代的な観点も含めて、沖縄の「負担」と「平等」について考察した論考を発表した。
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