本年度は、アンリ・フォシヨンの美術史学をささえ、また枠組みとなっている理論的背景をなすさまざまな考えのうち、特に「社会」をめぐるそれについて考察を行った。 この時代の人文諸科学は、デュルケーム派の社会学はもちろん、タルドなど他の流派の社会学的思考の豊かな成果に大きく影響され、その思考法を取り込んでいた。その例の一つが歴史学であり、歴史の主人公を個人から社会へと転換し、かつその社会を「国家」と切り離した点に注目すべきである。フォシヨンもまたそうした動向に沿って研究を展開しているため、その美術史研究においても社会という考察対象が重要な意味を持っている。 この時代、社会を考察の対象および基盤としたのは、人類学も同様であり、モースにおけるように社会学と人類学を横断して業績を残す例も珍しいとは言えない。こうした例と比較してフォシヨンの視点を再検討すると、その歴史学が一方で聖職者ジェルベールや皇帝オットー3世のように個人の事績に着目する面があると同時に、他方でそうした個人の業績に意味を与える大きな社会的変動に多大な関心をいだいていたことが分かる(『至福千年』)。ミクロ的視点とマクロ的視点のこうした共存は、個人と社会という社会学に影響された同時代の人文科学の多くを捉えていた問題のひとつでもあった。特に人類学は、文化の主体を社会へとシフトする中で、必然的に「作者」のあり方を再考することになるが、同様の問題意識はフォシヨンの中世美術研究にも鋭角的に現れている。このことが、『至福千年』のように歴史の一断面をミクロ的に見る視点と、旧石器文化からゴシック末期までを貫く形象文化の存在を見て取ろうとするマクロ的視点の共存(論文「先史時代と中世」)につながっている。美術史学史の中でフォシヨンをユニークな存在にしているこうした視点の取り方が成り立つにあたって、社会学的思考の貢献は決定的であったと思われる。この点は、さらに同時代の芸術運動との関わりの中でさらに追究していきたい。
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