美学者や芸術理論家、美術批評家ではなく、本質的に歴史家であり人文学者であったアンリ・フォシヨンの美術史学が、同時代の変動しつつある歴史学の趨勢と抜き差しならない関連の下にあったことが今回の研究により具体的に明らかとなった。 まずエコール・ノルマルにおいてフォシヨンの師でもあったアンリ・ルモニエは、彼自身歴史学を背景とする美術史家でもあり、フォシヨンの学風の先駆者として位置づけが可能である。このことは、従来ほとんど注目されてこなかった点である。 その上で、フォシヨンの歴史学は大きくふたつの点で同時代の歴史方法論とのつながりを持っている。 第1に、その歴史的時間論において、単線的に流れる時間の観念が廃棄され、複線的でしかも速度を変えつつゆったりと変動していく時間が採用される。これは、同時代の歴史学とともに、勃興しつつあった人類学や先史考古学の影響を感じさせる側面である。 第2に、人物論、人物批評あるいは伝記との親和性が強かった19世紀の歴史学に対して、より大きな次元で歴史を構成する姿勢が取られている。それがもっとも露わなのは、個々の作品の作者を問題とすることがほとんどない中世美術史研究であり、もともと近代美術史家であったフォシヨンの転回そのものが、この歴史方法論と軌を一にしている可能性が感じられる。 ただし、個人を超えた次元で歴史の主体化されるのは、例えば当時の大歴史家ラヴィスの場合と異なり、フォシヨンにおいては国家ではなく社会である。このことは、フォシヨンの広い意味での政治的立場、すなわち反国家主義、反民族主義の反映でもあると考えられる。彼の学問は、その意味で彼の政治的立場と切り離すことができないものでもある。この点もまた、これまでほとんど顧慮されてこなかった側面と言えるだろう。
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