本年度は研究期間の最終年に当たるため、これまでの研究の総括を中心に行った。特に、鎌倉時代肖像画の柱となる似絵を考察する際のネックとなっていたのが、似絵の発生状況が不明であると言うことであった。この点については、平安時代における奢侈観の研究などを踏まえて、色彩や金銀を用いた豪華な美意識に対して、白黒を中心としたモノクロームの美に対する関心が後白河院政期に発生したことを指摘し、これが似絵を背後から支える美の原理であることを指摘した。また、豪華な美意識とモノクロームの美意識の対立の背後には、過剰に飾り立てる「風流過差」の精神と、これを秩序紊乱につながる危険性の高い態度と見なして取り締まろうとする「過差禁制」の思想があることを発見した。「過差禁制」は、律令政治を支える儒教的な徳治主義に基づくもので、王のあるべき振る舞い、王たるものの理想に沿って出される禁令であり、似絵が儒教における礼的秩序の形成に奉仕するものであるという位置づけを見出した。これまでの院政期美術研究でも、王権と美術というテーマは追求されていたが、美術は、金銀という素材の豪華さや膨大な数量や超絶技巧による細工などにより競合する他者を圧しつぶす道具と位置づけられていた。そこで考えられている権力形態は、むきだしの権力であり、美術は、身体的な暴力ではないものの、精神を圧迫する心理的な暴力装置として理解されていた。美術に政治性があることは免れないものの、美術とはむき出しの権力にともなうものではなく、もっと洗練された政治技術であったと思われる。その点を証するのが、院政期における似絵の存在であり、礼的秩序を形成し、その頂点で管理を委託されたものとして権力が自らを位置づける手助けとして美術品が制作されたと考えるべきである。この点において、従来の王権と美術論を乗り越える視点を提示したと考えている。
|