本年度は、瀬戸内沿岸の仏像、特に金銅仏ならびに廃寺遺物の調査と研究を進めた。愛媛・興隆寺如来立像は法隆寺四十八体仏などにも類例が認められるもので、香川・与田寺誕生仏は痩身のユニークな形態をみせるものであるが四国地方では珍しい朝鮮系の作例と考えられる。また香川・善通寺の塑像頭部は破損仏で四国地方では類例も少ないものだが、その表情の作り方から奈良・西大寺塔本四仏、あるいは八世紀以降に造立された木彫群などとの関係を想起させられるものであった。近年高知県中央部の野田遺跡から発掘された博仏、瓦片などは四国圏ばかりではなく我が国でもあまり例をみないもので、地方独自の造形様式がこの時代の四国で発生していた可能性を考えた。この問題は香川・願興寺聖観音菩薩坐像、のように畿内から海を隔てた地域に伝播した様式のものとして注目されるが、初期一木造の香川・正花寺菩薩立像など奈良時代末期における地方作例の系譜とは異なる個性的な造形が生み出されていたことを物語るものと言えよう。 また院政期に地方への文化移入は急速に活性化する。こうしたことは東北にしても九州地方についても言えることだが、四国においてもまた中央の様式が直接的に流入してくると同時に、すでに培われてきた地方様式の仏像とが混在した形で伝来する。そうした問題を高知・金林寺不動明王、毘沙門天像、徳島丈六寺聖観音坐像、愛媛・太山寺十一面観音群像、香川・法蓮寺不空絹索観音像などからそこにある独自性について考えてみたい。愛媛・旧北条市周辺に伝来する元毘沙門堂の兜賊毘沙門天、特異な形態を見せる光徳院如来立像などもまた、この時代の四国地方独自の造形的な系譜を辿ることができる作例といえる。次年度以降、豊後水道から東シナ海沿岸の仏教文化の伝播の様子を造形作品から改めてひもといてみたい。
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