昨年度までに、瀬戸内沿岸の造像圏の形成過程についての研究を行ってきたが、本年度は四国を東西に挟む紀伊水道ならびに豊後水道沿岸の仏像の分布とその特性についての研究を中心に行った。調査地域は前者が大阪南部より和歌山県一帯、後者が大分県から鹿児島県に至る地域について実査を行った。 紀伊水道沿岸地域の作例では、紀の川沿いの法音寺、吉祥寺、法福寺といった寺院の仏像群の造像圏の想定を和歌山県周辺地域、ならびに徳島県、高知県等における平安時代の仏像からその影響関係を読み解く作業を行った。この一体は比較的年代の下る時代(14世紀後半頃)まで一木造りが積極的に行われていたことや、板光背を備える作品が多く見られることが特色と言える。和歌山・法音寺十一面観音像と高知・名留川観音堂十一面観音像にみる頭体より台座まで一木で仕上げ、またずんぐりとして、肩をいからせたような造形の志向はこの地域でしばしば確認された。また徳島・龍光寺仏像群と高知・豊楽寺、定福寺、金林寺(いづれも如来像の比較)といった仏像の類似は、平安時代中期から後期にかけて四国中山間地域における独自の造像圏の存在を窺わせるものであった。 一方、豊後水道を挟んだ、九州東南部においては廃仏毀釈の影響もあって、比較対象すべき作例が少ないが、大分・龍ヶ鼻石仏群、堂ヶ追石仏などは従来行われてこなかった平安時代後期の木彫像との比較を試みるべき作例と考えられる。またこれらの石仏祭祀の問題は民俗学的な見地からも興味深いものがある。また鹿児島県清水町石仏群、本高城集落仏像群、宮崎県綾町、国富町、福岡県南阿蘇村周辺の調査を行った。これらは逐次、調査報告も交えて成果発表していきたい。
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