広告ポスター専門の美術館を創設する計画は、フランスではすでに第三共和政下の1898年に美術批評家と文化官僚によって提案されていたが、第二次世界大戦後になって漸く文化政策の正式な課題として検討されるようになった。その結果、1978年にポスター美術館がパリに誕生し、1982年には広告美術館と改称された。本研究では言説資料を考察材料として、自国の広告表現の“高い芸術性”を誇る19世紀以来の価値観、すなわちフランスにおける「広告芸術論」が、美術館の開設を通して公認されるまでの理念上、制度上の展開を検証することが目的である。 平成24年度には研究協力者の事情により、フランス文化省資料情報部における調査が延期されるという事態に至った。しかしながら研究費の一部を翌年度に繰り越すことによって、平成25年8~9月に海外調査を実施した。この調査を通して、1970~1980年代の美術館政策全体の中で、ポスター美術館と広告美術館の開館に至るまでの経緯とその後の推移を詳細に跡付けることができた。すなわち、1980年代にフランソワ・ミッテラン社会党政権が推進した文化領域の拡大解釈と大衆化の政策が、その大きな牽引力となっていた事実が明らかとなったのである。 一方、平成24~25年度には日仏両国において、合計2件の口頭発表(招待講演)を行い、また合計2冊の著書を刊行して、本研究成果の一部を国際的に公開した。 19世紀にさかのぼる「広告芸術論」は言説レベルに留まらず、現実の文化政策と連動している点に着目した本研究は、これまで人文学的視点では見落とされがちであった美術史の一側面に光を当て、フランスにおける「広告芸術論」の歴史的継承と現代的意義を解明したと言ってよい。
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