本研究は、16世紀末から17世紀初頭のローマにおける庶民の美術に対する関心を、同時代の聖堂に描かれた宗教画の受容という観点から解明することをめざした。このために、まず当時のローマ庶民の宗教観を、庶民向けに作成されたパンフレットを調査し、当時のローマでは庶民向けの識字教育と宗教的知識の普及が広く及んでいたことを確認した。さらに16世紀から17世紀に描かれた庶民が登場する宗教画の作例を比較検討したが、17世紀初頭のローマで描かれた宗教画では、ドメニキーノなどカラッチの弟子たちでも、かつてなく現実的で説得力のある民衆表現が行われたと知られた。カラヴァッジォは「庶民が大騒ぎした」と批判されたが、他の画家たちも庶民表現を工夫していたのである。 また、16世紀半ばから、ローマでは、多様な社会階層の人びとを集めた世俗同信会が多く活動しており、特に聖三位一体同信会は1575年および1600年の聖年に極めて活発な巡礼支援活動を行った。これは聖フィリッポ・ネリが中心になって設立された世俗同信会であり、カラヴァッジォについては、この同信会との関係が比較的よく考察されている。だが、ドメニキーノは聖フィリッポ・ネリが長く活動し、聖三位一体同信会の本部からほど近いサン・ジロラモ聖堂の祭壇画を描いており、また画家が描いた《聖女チェチリアの施し》を含む連作の依頼人ピエール・ポレもこの同信会と結びつきがあった。この画家が同じ頃、壁画を描いたサンタンドレア祈祷所は聖フィリッポ・ネリに近いチェーザレ・バロニオ枢機卿が再建を請け負っていた。 聖フィリッポの周辺では、ローマ7大聖堂巡礼行や40時間聖体拝礼など庶民を巻き込んだ宗教行事が多く企画されており、この聖人の活動と、16世紀から17世紀にかけてのローマにおける聖堂装飾の変遷を「庶民の美術受容」の観点から再検討する意義が再確認された。
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