*アメリカの各博物館、研究機関が所蔵する5世紀金銅仏の精査を実施した。特に、五胡仏の中国化とガンダーラ風仏像の成立を考える上で最も重要な史料であるサンフランシスコアジアミュージアムの建武四年(338)銘坐仏とボストンフォッグミュージアムのガンダーラ風坐仏の二体を重点的に調査した。調査の結果、5世紀前半の五胡期金銅仏が、いずれも10㎝内外の小像で、かつ前後二枚の単純な合わせ鋳型で製作されるのに対し、この二体はともに40㎝近い大像であること、また大型の鋳造仏であるが故にスペーサーを使用するなど、五胡期金銅坐仏とは大きく異なることを確認した。また建武四年銘像は、現在確認出来る中国最古の紀年銘をもつ作品であるが、衣文や頭髪に五胡期金銅仏とは異なる精細な表現が見られること、また像容に、5世紀中頃の北魏初期の金銅仏と共通性が見られることなどから、作品の真贋をより慎重に検討する必要があること、少なくとも建武四年という紀年銘をそのまま信用するのは危険であるとの結論に達した。一方、フォッグミュージアムのガンダーラ風坐仏は、建武四年像より古い可能性が指摘されていたが、台座の供養比丘像、獅子像、瓶花文様の様式から北魏5世紀中頃に製作された可能性のあることを確認した。また五胡期のガンダーラ風仏像については、京都国立博物館、藤井有鄰館蔵の作品も調査したが、これらはフォッグのものとはガンダーラの影響を受けた度合いに差が見られ、これによってガンダーラ仏は数次にわたって中国初期金銅仏に複雑な影響を与えていたことが予想されるに至った。 また前年度に引き続き、中国金銅仏約10件を蛍光X線で成分分析を実施した。その結果、5世紀中頃、北魏前期に銅が80~90%、錫、鉛が数%の作品と、銅が70~80%、錫と鉛が各々10数%という値の作品が混在する状況であることが推定されるに至った。
|