本研究の目的は、大正・昭和の演劇界で形成された新しい劇理論が韓国の近代・現代劇成立にいかなる影響を及ぼしたかを明らかにすることである。大正・昭和期には日本国内で新派劇の発展、自由劇場の消滅、築地小劇場の設立など新しい演劇運動が始まり、近代と近代化の演劇理論について多様な論争が活発に行われた。この時期に韓国の近代劇運動の先駆者として知られた知識人達が留学生として来日し、日本を通して新しい学問を学んでいた。したがって、韓国近現代劇の理論形成には、日本演劇界の影響が大きかったのである。 平成22年度には、日韓の相互関係を立証できる客観的資料の収集と再分析を中心に、収集した資料の整理と分析作業を行った。その結果、1910年代初から韓国の新派劇は日本の新派を模倣する方式で始まったことが明らかになった。1910、20年代からは新聞連載記事、新小説、古典小説を脚色して多様なレパートリーを確保しようと方向性を変えたが、当時の韓国新派劇は相変らず感傷的な家庭悲劇から抜け出すことができなかった。大部分の作品は家族間の葛藤と不幸、愛憎の交差と復讐、家庭の解体と一族の没落が主な内容だった。しかし、1930年代中盤からは完成度が高く徹底した商業主義で運営された「東洋劇場」が開館し、日本的な色から抜け出した脚本を土台に演出、演技、舞台美術などにおける発展がみられた。このように韓国の「新派劇」は、日本の新派から影響を受けて、通俗的な商業主義を基盤とした大衆劇であり、メロドラマという様式として確立した演劇であった。
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