今年度は、池内友次郎と平尾貴四男を取り上げ、彼らの言説を中心に分析と考察を行なった。それによれば、フランスで得たのは、作曲が確実で堅固な技術を土台にしてなされること、またそれと自由な即興が関わりあって行なわれることである(池内)。他方、現代までのさまざまな音楽を糧としつつ、作品はそのいずれとも似ない作曲者の心の反映であり、真に目指すべき音楽としての音楽的真実を生む。民族性の強調ももはや必要なく、作曲者が自己に忠実であれば当然民族性もそこに反映されるのであり、輸出向きの典型的民族性は世界の音楽に貢献しない(平尾)。すでに世界音楽のるつぼであったパリに身を置くことによって世界の音楽に心を開きつつ、自己の自然な民族性を生かした、論理性と抒情性をもった音楽の創作を目指していることが明らかになった。この自然な民族性とは、表現を極限まで切り詰め、抽象性を高めながら事物の本質を一瞬のうちに表すこと、静と動が両立する表現世界を展開することであり、日本の伝統文化で表されてきたものである。これはフランス音楽の特質とは一致しない面が多いが、彼らはそれらを生かしつつ、フランス音楽教育の特質である正確かつ美的な作曲書法の徹底的な習得と、19世紀フランスのナショナリズムの音楽上の反映である、もっとも高度な民族主義による音楽創造を試みた。それは、当該民族の音楽に固有な様式や形式といった根本的要素に音楽を還元し、そこからアイデンティティにもとづく創作を行なうことである。こうして音楽においても、政治や文学等と同様、日本人にとってパリの意味は公から私へと変容し、文化の領域で交流が深まっていったことが示された。そして洋楽導入から100年たって武満徹にまで至る、日本近代芸術音楽の新たな伝統が創造されたことが明らかになった。
|