今年度は、前年度研究した平尾喜四男の研究から得た新たな成果をもとに、彼の留学したパリのスコラ・カントルムの教育内容について、フランス国立図書館において資料を収集し、内容を調査した。 比較対象として、まず国立パリ高等音楽院を取り上げた。同校は、フランス革命の影響を受けて、1795年に、世界で初めて設立された近代的音楽院であり、それ以前の音楽教育の概念や仕組みを完全に覆した画期的なものであった。そのシステムは、今日、日本を含む世界各国の最高峰の音楽家養成機関において継承され、機能している。しかしその反面、 これに対して、こうした問題点や入学に関する年齢障害から、スコラ・カントルムとその発展的継承校であるセザール・フランク音楽学校に入学したのが、平尾喜四男であった。その成果について、予想外の成果を得た昨年度の研究をふまえ、とりわけスコラ・カントルムの教育理念とシステムを調査した。その結果、スコラでは、カトリック教国であるフランスならではの旋法重視、ソルフェージュ教育に対してでさえ美しさを求めたこと、すでに他民族の混在する世界都市であったパリを背景に、各国の伝統音楽を多文化主義の視点からとらえる教師がいたことが明らかになった。もちろん、フランスの音楽院に不可欠の、職人主義的な和声法や対位法の習得も重視された。 平尾がこのような幅広い視点を持つ環境にいたことは、彼の創作に大きな影響を与えたとともに、帰国後の音楽教育にも大きな影響を与えた。とくに、戦後のすべての日本の音楽教育に対するフランス式教育の普及は、彼のスコラでの体験が大きく影響したと結論付けられた。 今後の課題としては、平尾のスコラ体験が、それでもなお十分にその意義をとらえられていないことを中心とし、日本の洋楽受容に近代フランスの音楽体験が不可欠であったことをさらに追及し、日本の現代音楽の多様な姿を導いたことを明らかにしたい。
|