近世の文人としては、画家、学者、書家などが考えられ、作画、作詩、作書、著述の主に個々人の活動が調査され明らかにされてきた。しかし、江戸時代後期の文人達は、友人関係を広め、集団でさまざまな活動を活発に行ってきた。絵画の分野における集団の活動としては、公的な書画会があり、少人数による私的な作画も行われたが、その成果としての共作もかなりの数残っている。京都の文人達の中心にいたのは医者の小石元瑞であるが、元瑞と浦上春琴や小田海仙、山本梅逸、中林竹堂との共作も見いだした。広島の頼山陽や徳島の貫名海屋もこの仲間であるが、彼らの共作になる絵画作品は小石家、名古屋市博物館、堺市博物館、徳島城博物館などに残されており、一部の作品について調査を行った。文人の活動として重要であるのは煎茶である。さきに挙げた画家や書家なども煎茶を一緒に楽しんだことは煎茶記録によって明らかで、元瑞所蔵の煎茶器が交友関係の中で収蔵されたこともすでに明らかにしたところである。作陶家の青木木米の作品もこの中に含まれており、木米が元瑞と交友関係にあったことも、書簡から明らかである。木米の手になる篆刻が元瑞に贈られているが、篆刻も文人達の重要な芸術活動であり交友関係をしめすものである。篆刻家として有名な細川林谷の篆刻は元瑞に贈られていたが、林谷が煎茶道具である茶合を作っていることが明らかになったのは、彼ら文人達が作画、作詩、篆刻、煎茶など様々な分野で結びついていたことを示す重要な発見であったと考える。京都の文人達のネットワークの中心にいたのは元瑞であったが、広島や山口の文人達のネットワーク形成に力があったのは、国学者の近藤芳樹である。二つのネットワークはかなりの部分重なり合うが、元瑞と芳樹はいまだ結びつかない。芳樹は歌人であり、煎茶も好んだ。二人が結びつくならばその文人ネットワークは巨大なものになる。
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