本研究は、中央集権的なスハルト政権崩壊後、2000年に始まった地方分権法の施行によってバリ州民の意識が変わった結果、2000年からバリ全土に沸き起こった文化復興運動と、1950年代後半から約50年もの間続いた国民文化論のもとで実施されてきた国家主義的な文化政策の方針転換により、各地方で沸き起こっているアイデンティティの再認識の結果、急激に変化するバリ芸能に焦点を当てている。 平成24年度は、特に人形影絵芝居ワヤンとその人形遣いダランの役割に焦点を当てて調査を行い、その成果を論文としてまとめた。バリのワヤンの上演や人形遣いダランが宗教的役割を担い、人々の浄化儀礼を行ってきたことはこれまでの人類学的な研究から知られている。そして、スカルノ、スハルト政権時代のヒンドゥー教の国教化などにより、ワヤンと関わりを持つ儀礼の要素が希薄化して、ワヤンそのものが娯楽化していったことはこれまで自身の研究成果を通して明らかにしてきたが、この地方分権化により、ワヤンやダランの役割に変化が見られたのかどうかを本研究の焦点とした。この調査を行うにあたり、衰退の一途をたどるサプ・レゲールとよばれるダランによる除穢儀礼を対象とした。 その結果、スハルト政権崩壊後の文化復興運動により、サプ・レゲール儀礼そのものが復興したことが明らかになったが、その儀礼が国教となったヒンドゥー教の経典に沿って大きく変質してしまった結果、ワヤンやダランの役割は儀礼の中にわずかに存在していたもののその比重はわずかであり、ダランの宗教的な役割はそれまで以上に失われ、ほぼ形式的にワヤンが上演されるにすぎない状況を呈していることが調査結果から明らかになった。つまり、儀礼とともに結びついた芸能は、儀礼の復興とともに芸能が元通り復興したわけではなく、儀礼の変容とともに、結果的に芸能もまた大きく変質した形で復興したのである。
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