六国史断絶後の歴史記述の基盤の問題を考えるなかで、物語の注釈書である『河海抄』が、中世の年代記生成の現場と不可分に接点をもつことを研究した成果として論文「光源氏と内覧」を発表した。具体的には、『源氏物語』澪標巻に描かれた、政権を光源氏と岳父がわけもつ状況について、『河海抄』が史上の藤原時平・菅原道真の例をあげ、「執政臣二人」という問題としていることに注目し、その理解の基盤に、これを史上の初例と捉えようとする中世の内覧認識があったことを史料から検証した。さらに、有職故実書『桃花蘂葉』に、『源氏物語』が史上の実例と並んで挙げられていることを見、貴族社会の終焉期にあって、『源氏物語』が、日常、現実に近いところで先例と見做されていたことを指摘、『河海抄』がそのような認識をうけながら、年代記類にうかがわれる歴史認識生成に関与していったさまについて考察した。一方で、従来の研究で正しく評価されてこなかった『河海抄』所引の「万葉」が、『万葉集』、『源氏物語』研究、さらに古辞書研究、いずれにも大きな意味をもつことを指摘したのが、現在、投稿審査中の「『河海抄』の「万葉」」および「出典となる『河海抄』」である。『源氏物語』注釈史における「万葉」の注は、『河海抄』に独自というべきで、これは『万葉集』次点本流布の状況を照射するものとなっている。同時に、『河海抄』のつくった広がり(『万葉集』にないものを「万葉」としてあげるような状況)は、中世の辞書の世界とも関わってゆく。それは、『河海抄』が何を基盤として年代記類の生成に関わっていったかという、中世の教養の問題であると同時に、これまで、仮名遣いの問題等から考察されてきた、古辞書類の成立について、『源氏物語』注釈史から見ることで可能となる新たな展望の提起である。
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